岸信介先生の書


国家の興亡

 左の掛け軸は、清原淳平が、岸信介先生が総理の時に御面識を得たのが御縁で、岸先生が創設された「財団法人 協和協会」につき、昭和53年11月にその常務理事兼事務局長を拝命。翌年から、政・財・官・学・民の各界名士に入会を要請して回り、百名ほどの入会を得て、月例講話会を開始。活発な活動を始めたことを賞し、昭和56年春に頂戴した書を、掛け軸に表装したものである。『国家の興亡を以て己の任となし、個人の生死を度外に置く』と書かれている。なお、為書(ためがき)の下には、「蒋中正閣下の語を録す 信介」と書かれている。中正は、蒋介石総統の号(本名のほかにつける雅号)である。岸先生は蒋総統のこの言に共鳴されていたが、表現は一部、日本風漢字に書き直しておられる。

箱書

左は掛け軸を入れる箱書の揮毫。
(注) 箱書とは、中身が本物であることを証明して、それを入れる桐材などの箱の上蓋に題名を書き、その蓋裏に、それを書かれた年と、書かれた方が落款(署名をし印鑑を押捺すること)をするもので、権威がある。

一誠兆人を感ぜしむ

 清原淳平は、昭和54年新春に、岸信介先生により、自主憲法期成議員同盟事務局長と自主憲法制定国民会議の執行を委嘱されたが、昭和57年11月に中曽根康弘内閣が発足。同総理が憲法改正発言をされたので、岸信介先生が議員同盟の拡大を指示され、議員会館内を駆け回った結果、昭和58年4月中に308名の大議員同盟を形成したのを、大層評価して下さり、頂いた書を額装。『一誠兆人を感ぜしむ』とある。

色紙  左の色紙は、昭和58年頃と記憶するが、岸信介先生に、最近の御心境をお書き頂きたいとお願い申し上げて、書いて頂いた。「志は、秋霜とともに、いさぎよし」と読める。真言宗の総本山、高野山奉賛会会長をされていた岸先生は、空海上人の千百五十回忌までに般若心経を1150枚、暇を見ては写経されたので、最晩年の揮毫願いはご遠慮申し上げた。
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